「現在価値」の発見

さて、いま一つの方向は、いわゆるデリバティブによるヘッジの考え方である。つまり、リスクを構成している要因と同じように不規則に変動する金融商品が見つかれば、それを使ってリスクをヘッジすることができる。たとえばある銘柄の株式に投資するとして、その株式の価格変動を、二つの変動要素、すなわち株式市場全体のシステマティックな変動と個別銘柄の変動に分けられれば、株式市場全体の価格変動に対応する株価指数先物というデリバティブを使って前者のリスクを回避しつつ、その銘柄の価格変動だけに注意するという手法が成立つ。

また、保有する株式の値上がり益だけを獲得し、値下がりのリスクを避けようとすれば、その銘柄を将来のある時期までに、ある一定の値段で売却する権利(プット・オプション)を購入すればよい。株価しだいでは売らなくてもよい。これもデリバティブの一つである。買い手にとってはどんなに株価が下がっても約束の値段で売りっけることができるので、すこぶるうまい話ではあるが、オプションの売り手、つまり売る権利を行使される側は、暴落するかもしれない株を約束した値段で買うという大きなリスクを負担する。したがってそのようなリスクに見合う対価(オプション価格)をあらかじめ買い手から受け取る必要がある。

リスクに見合う対価などが算出できるものだろうか。この場合、ひとまず、その対価は、売る権利を行使するオプションの買い手が、売り手から受け取ることが期待できる、将来のキャッシュフロー(資金の流出入)に等しい。いや、正しくは将来のキャッシュフローの「現在価値」に等しい、と考えるのである。

一般に、デリバティブ取引は、同じ現在価値のキャッシュフローが交換される取引だと考えることができる。じつは、この現在価値という考え方こそは、デリバティブ取引に限らず、先から述べている新しい金融技術の根幹にある考え方だといっても過言ではない。したがって、将来得られるキャッシュフローを、どのように算出するかという話に入る前に、この現在価値という考え方について、少々ふれておく必要があるかもしれない。

対米協調最優先の日本外交

従って、今日の国際社会にとっての重要な問題は、いかにして大国、強国の国家的エゴイズムの自己主張を抑えるか、そしてそれによって秘密外交の温床をいかにして取り除くかという点にこそあると思われる。そしてこの問題を考える上で重要な地位を占めるのは、国際的民主主義の二つ目の要素、即ち、国内民主主義の国際化という問題であろうと思われる。

ここで考えたいのは、よく国際法で取り上げられる「個人の国際法上の主体性」という類の問題ではない。多くの民主主義諸国では、国内問題については、主権者である国民がさまざまな手段を通じて行政府の行動を民主的に監督する制度的保証がある。しかし、外交問題は長い期間にわたって行政府の「専管事項」であったために、この問題に対しては、多くの国々において、国内問題におけるほどには民主的な監督を行なう制度的な保証が確立していない。むしろ、意識的な世論操作やナショナリズムに訴えるような宣伝工作によって、国民世論が政府によって一定の方向に誘導され、利用されるということも多い。

他方、ヴェトナム戦争にストップをかけだのはアメリカ国民の世論であり、近年のソ連、東欧諸国における内外政策の民主化への動きを指導したのも、これら諸国の国民世論であった。この二つの例は、国民世論がその国の外交路線の修正に対して大きな影響力を発揮しうることをもっとも顕著に示すものだが、これらに似た例は、近年の各国の動向を詳しくみれば、さらに指摘することができるだろう。

一言でいって、日本外交は、国際的な民主主義のあり方という問題については、一貫して冷淡であり、無関心であり続けて、今日に至っている。戦前は帝国主義の欧米列強に追いつくことを至上課題として展開された日本外交、そして戦後は徹底した対米協調を基本にして他を省みることがなかった日本外交であってみれば、国際民主主義という問題に目が回らないのは当然というべきである。

構造不況業種の整理

この時期の景気回復は長くは続かなかった。従来型の財政・金融政策による景気刺激策がスタグフレーション(不況下での物価上昇)の激化を生み出すことによって、世界経済は早くも七八〜七九年にかけて変調をきたし、第二次オイル・ショック後の八〇年代初頭には七四〜七五年を上回る世界的不況に突入することになった。だがこの不況は、いくつかの面で新たな経済成長の環境を準備することになった。

不況を通して日本では素材型産業を中心とする構造不況業種の整理がほぼ終わった。政府は設備の処理や業界再編の必要な業種を構造不況業種と認定し(繊維、鉄鋼など)、その対策として七八年五月に「特定不況産業安定臨時措置法」、通称「特安法」を制定したが、アルミ精錬など一部の業種を除いて、八〇年代初頭にほぼその課題が達成されたのである。

もちろん、第二次オイルーショックに対応できなかったアルミや化学繊維、また新たに困難に直面した石油化学や製紙業界などへの対策として、八三年五月に「特定産業構造改善臨時措置法」、通称「産構法」が制定されたように、構造不況業種の整理はその後も続いた。しかし、素材型産業はこの不況を通して、ようやくスリム化を軌道に乗せることができたのである。

一方、この不況のなかでME化か本格化し、経済のサービス化とかソフト化と呼ばれるような産業構造の変化が進展することになった。そしてなによりも、この不況を通して、アメリカを先頭にインフレが沈静化した。不況下での高金利期を経て、アメリカの消費者物価上昇率は七九年の三%から八三年の三・八%にまで急速に鈍化した。日本でも、八〇年の八・〇%から八三年の一・九%へと消費者物価上昇率が下落した。

結局、高成長の終焉をうけて新たな産業構造や経済環境を整備するのに、世界経済は七四〜七五年不況から八〇年代初頭の不況にいたるまでの約一〇年間を必要としたのである。そして八三年以降、アメリカ経済の回復にリードされて世界経済は回復し、低成長ながらも、八〇年代を通じて経済は拡大を続けることになった。

創造性や勇気ある秀才が激減

なぜ、日本人や日本社会は「人材を評価する」ということができないのだろうか。様々な理由が考えられるが、経験上、最も大きな理由として思うことは、日本人の「お上頼み意識」の強さである。誤解なきように言うが、これは日本人が役所や公務員を尊敬・信頼しているということではない。日本人は役所や公務員を批判するにもかかわらず、自分達で自主的に何かを作り上げることはしないということである。それどころか、何か問題があると即座に「役所が〜すべきだ」と役所を批判し依存する。

社会のルール、ルールを破った時の罰など、経済社会を運営する時の基準をすべて役所に作ってもらおうとする。そんなお上依存意識が評価下手につながっている。みんなが議論しながら評価基準・項目を作れないのである。そのため、誰もが納得できる存在として「お上」を祭り上げて、決めてもらおうとする。人材をきちんと評価するためには、評価基準を命がけで作る必要がある。「どういう人材が優秀なのか」「どういう人材が日本で育ってほしいのか」ということを、侃々房々と意見を戦わせながら作り上げない限り、人材を評価することなどできない。そんな当たり前のことを日本人は避けている。

ただし、今後、少子高齢化でますます若者が少なくなっていくということを考えた時、人材評価を曖昧にしておくことのマイナスはあまりにも大きい。具体的に言うと、日本人の人材評価があまりにも曖昧で大衆的なことから、優秀な知的エリートがますます衰退するということである。今の日本では、知的エリートが重視・尊敬されていない。今の日本で人気があったり敬意が払われるのは、芸能人やプロスポーツ選手であり、一流大学を卒業して一流企業に就職したり、知的職業に就く人はそうではない。

それは報酬面から明らかである。国民の多くは、東大法学部を卒業した官僚が1000万円の給料をもらうことに目くじらを立てる一方で、プロ野球選手や芸能人の膨大な収入には何の疑問も持たない。こんな状況を反映しているのだろうか、小さいうちから本格的に芸能人やプロスポーツ選手を目指す親・子供も増えている。その一方で、シンガポールのように知的人材を遮二無二に集めている国もある。いずれにしても、人材評価を避ける日本では、知的エリートを中心に人材が劣化していくことは明らかである。具体的には、外資・金融・法曹などのプロフェッショナルで金を稼ぎまくる一部の知的エリートを除いて、知的エリートは次の三つの形態で力を落としていくだろう。

第一に、一流企業に入る知的エリートを中心としたもので、長時間残業で疲れ果てて劣化していくというパターン。第二に、(昨今はエリート官僚を含めて)公務員志望の学生を中心に、人材として評価されないため、自分の存在の重要性にさえ気付かないまま、非常に保守的な行動をとる知的エリート。第三に、人材を評価しない日本という国を見捨てるというパターンである。第一のパターンについては説明の必要性もないだろう。日本の一流企業のサラリーマンを見ていれば、「いかに学歴の果実が少ないか」が如実にわかる。「一流大学を卒業したことの意味は何なのか?」というくらいに、長時間残業に追われている。その一方で、そこそこの給料しかもらえず、リストラの危険にさらされている。

市場慣行・取引所会員資格の有無などの問題

株式売買手数料自由化の動きにしても、すでに七五年五月一日の米国のメーデー、八四年四月一日の豪州、八六年一〇月二四日の英国のビック・バンと実施が拡大され、株式市場の時価総額が世界一となった日本でも遠からず、この開放化はやむにやまれず導入されるであろう。しかし、銀行と証券の兼営、すなわちユニバーサル・バンク制度をとっている欧州大陸系銀行では、まだこの手数料自由化にはふみきっていない。

欧州大陸内の株式市場規模などは実に世界的サイズ全体からみれば零細だし、国民の直接金融方式としての株式市場などは一部の富裕個人と機関投資家の「箱庭」であり、西独のように株式会社も上場会社も減少しかけているほどである。したがって、ナショナルな金融資本市場としてとくに改革を緊急とするほどではないのである。英国だけは別である。北海原油とシティで国の威信を保っている以上、ニューヨーク・東京と並ぶ三大マネー・センターであり続けるためには、旧態依然たる株式市場では手数料自由化のニューヨーク、活況を続ける東京にはるかに後塵を拝してしまうのである。

ここに英国の証券革命(ビッグ・バン)のやむにやまれぬ真の理由がある。しかし、この自由化は他市場へ伝播せざるをえない。もし、東京市場が現在のような十段階の一・二五パーセントから〇・一五パーセントまでの東京証券取引所「売買委託手数料確定主義」を固守するかぎりは、いずれ東京市場の取引はニューヨークかロンドンへ流れてゆくかもしれない。もちろん、ドルやポンド建ての代金決済を行なわねばならないとか、時差とか、市場慣行とか取引所会員資格の有無だとかの問題はあるであろうが、現実の事態はそこまで進みかけているのである。

不安定で流動的な雇用

昨今の雇用情勢の特徴として、真っ先にあげられるのが「不安定さ」「流動性の高さ」である。かつての日本では正社員・終身雇用体㈱が維持されていたので、働く場所は非常に安定していた。「これから先も職場があるだろうか」と心配している人などまずいなかった。その背景には、経営者や労働者が一体となって終身雇用を守るという姿勢が強かったということもあるが、そもそも経済が右肩上がりだったことが大きい。長期間にわたって経済成長が持続していたため、企業経営は安定していたし、銀行も潤沢に資金を提供することができた。だからこそ、雇用も安定していたのである。

それに加えて、石油ショック円高不況などの不況も短期間だった。短期間の不況の場合、露骨なクビ切りなどしなくても苦境を乗り越えることができた。しかし、この状況は今や根本的に変化している。まず、日本経済は長期間の不況を経験するようになった。もはや高度経済成長が夢である以上、これまでのような右屑上がりを前提としたシステムは維持できない。また、日本経済の地位が低下して競争力を失ったことも大きな違いだ。例えば、日本の実質成長率は1980年代の3・8%から1990年代の1・5%、2000年代の1・7%へと低下し、その間、世界のGDPに占めるシェアは1994年の17・9%から2007年の8・1%へと低下しているだけでなく、一人当たり国内総生産(GDP)も経済協力開発機構OECD)加盟国中の2位(1993年)から18位(2006年)と順位を落としている(経済財政諮問会議「構造変化と日本経済」専門調査会報告 2008年7月2日)。

総会の権限が相対的に薄れてきた

一九五〇年十一月に採択された有名な「平和のための結集決議」は、安保理常任理事国の一致が得られない場合は、総会に問題を付託し、総会が開かれていない場合は理事国七力国(現在は九力国)の賛成による要請か、加盟国の過半数の要請で、緊急特別会期を開くことができる、と定めた。この決議自体は、朝鮮戦争に関連し、旧ソ連との対立で機能麻庫に陥った安保理を迂回する目的で米国が中心となって成立させたものだが、その後、総会権限を強化する先例になった。この緊急特別会期はスエズ紛争やハンガリー動乱、中東問題、コンゴ事件などに際して何度も開かれており、安保理か機能しない中で、国連の信用度をかろうじて支えてきたシステムだ、と言えるだろう。その後も総会は、安保理とほぽ並行して審議をし、国際社会の声によって安保理を牽制したり、圧力をかけるなどの役割を果たしている。

ここで忘れてならないのは、その前提に立った上でなお、第七章による強制措置については、安保理の専権事項とされていることだろう。加盟国に法的な拘束力を課すという強力な権限は、あくまで安保理にのみ委ねられている。総会は、監視や監督、調査といった事項については権限を持ち、さらに国際社会の声によって政治的、道義的な圧力をかけられるが、その最終的な実行を保証する力は持っていない。冷戦後に安保理が結束し、第七章に基づく強制措置を発動する機会が増えるにつれ、総会の権限が相対的に薄れてきたのは偶然ではない。後で見るように、国連の中で、近年安保理の機構改革が焦点になるに至った背景には、大国主導の国連運営に対する加盟国の危機感が横たわっているとも言える。