対米協調最優先の日本外交

従って、今日の国際社会にとっての重要な問題は、いかにして大国、強国の国家的エゴイズムの自己主張を抑えるか、そしてそれによって秘密外交の温床をいかにして取り除くかという点にこそあると思われる。そしてこの問題を考える上で重要な地位を占めるのは、国際的民主主義の二つ目の要素、即ち、国内民主主義の国際化という問題であろうと思われる。

ここで考えたいのは、よく国際法で取り上げられる「個人の国際法上の主体性」という類の問題ではない。多くの民主主義諸国では、国内問題については、主権者である国民がさまざまな手段を通じて行政府の行動を民主的に監督する制度的保証がある。しかし、外交問題は長い期間にわたって行政府の「専管事項」であったために、この問題に対しては、多くの国々において、国内問題におけるほどには民主的な監督を行なう制度的な保証が確立していない。むしろ、意識的な世論操作やナショナリズムに訴えるような宣伝工作によって、国民世論が政府によって一定の方向に誘導され、利用されるということも多い。

他方、ヴェトナム戦争にストップをかけだのはアメリカ国民の世論であり、近年のソ連、東欧諸国における内外政策の民主化への動きを指導したのも、これら諸国の国民世論であった。この二つの例は、国民世論がその国の外交路線の修正に対して大きな影響力を発揮しうることをもっとも顕著に示すものだが、これらに似た例は、近年の各国の動向を詳しくみれば、さらに指摘することができるだろう。

一言でいって、日本外交は、国際的な民主主義のあり方という問題については、一貫して冷淡であり、無関心であり続けて、今日に至っている。戦前は帝国主義の欧米列強に追いつくことを至上課題として展開された日本外交、そして戦後は徹底した対米協調を基本にして他を省みることがなかった日本外交であってみれば、国際民主主義という問題に目が回らないのは当然というべきである。