構造不況業種の整理

この時期の景気回復は長くは続かなかった。従来型の財政・金融政策による景気刺激策がスタグフレーション(不況下での物価上昇)の激化を生み出すことによって、世界経済は早くも七八〜七九年にかけて変調をきたし、第二次オイル・ショック後の八〇年代初頭には七四〜七五年を上回る世界的不況に突入することになった。だがこの不況は、いくつかの面で新たな経済成長の環境を準備することになった。

不況を通して日本では素材型産業を中心とする構造不況業種の整理がほぼ終わった。政府は設備の処理や業界再編の必要な業種を構造不況業種と認定し(繊維、鉄鋼など)、その対策として七八年五月に「特定不況産業安定臨時措置法」、通称「特安法」を制定したが、アルミ精錬など一部の業種を除いて、八〇年代初頭にほぼその課題が達成されたのである。

もちろん、第二次オイルーショックに対応できなかったアルミや化学繊維、また新たに困難に直面した石油化学や製紙業界などへの対策として、八三年五月に「特定産業構造改善臨時措置法」、通称「産構法」が制定されたように、構造不況業種の整理はその後も続いた。しかし、素材型産業はこの不況を通して、ようやくスリム化を軌道に乗せることができたのである。

一方、この不況のなかでME化か本格化し、経済のサービス化とかソフト化と呼ばれるような産業構造の変化が進展することになった。そしてなによりも、この不況を通して、アメリカを先頭にインフレが沈静化した。不況下での高金利期を経て、アメリカの消費者物価上昇率は七九年の三%から八三年の三・八%にまで急速に鈍化した。日本でも、八〇年の八・〇%から八三年の一・九%へと消費者物価上昇率が下落した。

結局、高成長の終焉をうけて新たな産業構造や経済環境を整備するのに、世界経済は七四〜七五年不況から八〇年代初頭の不況にいたるまでの約一〇年間を必要としたのである。そして八三年以降、アメリカ経済の回復にリードされて世界経済は回復し、低成長ながらも、八〇年代を通じて経済は拡大を続けることになった。