日米防衛協力のためのガイドラインの国内関連法

野中は、はるか以前、小渕内閣発足直後から、自自連立を模索していたといわれる。たしかに自民党にとって事態は深刻であった。参議院過半数割れが続く一方、九九年の通常国会では日米防衛協力のためのガイドライン関連で、周辺事態安全確保法案、中央省庁再編関連法案など、成立させねばならない重要法案が目白押しだった。国会では数がなければ、どんな法案でも日の目を見ることはない。少しでも与党議席を増やしておくという意味で、自由党の協力は是が非でも必要であった。

自由党にとっても、自自連立のメリットは大きかった。新進党を解散して以来、創価学会の支援に期待できない自由党所属の国会議員は、学会に代わる組織がなければ、当選は厳しかった。連立になれば、閣僚や政務次官ポストを要求することもできる。

こうした状況のもとで自民、自由両党は連立に踏み切ったのだった。連立に際して、自由党は、消費税については税率・福祉目的税への限定など抜本見直し、所得税、住民税は一〇兆円をめどに大幅減税、中央省庁再編時の閣僚数は一四人などの政策要求を行った。両党は、自由党が提案する政策に関する協議の開始、九九年度予算編成での協力、衆参両議院の定数是正、選挙協力などで合意書を交わした。

もっとも、参議院では、ご一議席しかない自由党との連立だけでは過半数は確保できない。公明党への接近がこうしてはじまった。野党時代や、与党に復帰した村山内閣時代の、機関誌「自由新報」を使った反創価学会キャンペーンが嘘のようであった。党内でも反対の強かった地域振興券配布での歩み寄りや、公明党執行部が夢にでもみるといわれる中選挙区制復活への協議などを提示して、自民党公明党の協力とりっけに成功する。一方、民主党との連携をも視野に入れていたはずの公明党は、次第に自自公路線に傾斜していく。

実際、九九年通常国会で、小渕内閣は、日米防衛協力のためのガイドラインの国内関連法(周辺事態安全確保法案)や通信傍受法案などを、公明党の協力を得て可決成立にこぎつけた。しかし公明党への接近は、自由党との間に亀裂を生じる結果となった。自由党が自自連立に際しての合意事項である衆議院の定数削減を強く主張し、これに反対する公明党と鋭く対立したからである。