現代の経済学

私が職業とする経済学は、「貧しさ」を研究し、その解決策を探ることを役割とするというのが、これまでの考え方であった。もちろん、いまも「貧しさ」はなくなってはいない。「南」の諸国では、いまなお多くの人びとが飢餓線上をさまよっているし、日本を含む「北」の諸国にも、生活苦に追われる人たちがいないわけではない。しかし他方、わずか二、三十年前とか、五十年前とくらべても、いまではわれわれは驚くほど豊かになったというのも、まぎれのない事実である。従来どおり、ただ「貧しさ」をキー・ワードとして考えるだけでは、現代の経済は十分にはとらえ切れないのではないだろうか。「豊かさ」をキー・ワードとして経済を考えようとする試みが、当然あっていいはずである。

もっとも、もし「豊か?」がいいことずくめだとしたら、そこまで考える必要はないかもしれない。事実われわれは、まだほんとうに貧しかったころには、「豊かさ」はいいことずくめであるにちがいないと、予想していた。ところが、実際に「豊かさ」を手にしてみると、その予想は多分に裏切られた。むしろ「貧しさ」は、いくつかの難問が表面化するのを抑えてくれていたのではないだろうか。しかし「豊かさ」の到来は、そのブレーキをはずし、種々の難問を一挙に表面化させたように思われる。先進諸国が国内で直面している深刻な「病理」も、国際経済の著しい混迷・動揺も、そこから説明できるだろう。

しかし、以上のような一般論を背景に置いてみるとき、日本の経済・社会は、十分な「豊かさ」を享受しながらも、その「病理」とはびっくりするほど無縁なように思われる。はたしてそれはなぜなのかということを、この本は探ろうとする。そして、いったいその事実は、これからの日本にとって何を意味するのだろうかということも、この本にとって重大な関心事である。結論を先取りすれば、日本が驚くほどうまくいっているのは、日本が、ごくあたりまえのことをごくあたりまえにやっているためだろう。

そして、諸外国が「病理」に悩み、日本がうまくいっていることは、日本と諸外国との間に種々の摩擦を生じさせ、国際社会における日本の立場を苦しくするにちがいない。しかし、一歩突っ込んで考えると、このばあい日本は、「豊かさ」への対応に苦慮する諸外国に対して、解決へのちえを提示しているのではないだろうか。一日本人として、ささやかな自信を持とうではないかというのが、私から読者への呼びかけである。