大国間の軍備競争の問題

私たちは、たとえば今日において「公正」とは何か、「民主的」とはどういうことなのか、従来のものさしでは判断しにくい状況にぶつかっていますが、その答えは、国内の状況だけではなく、その先につながっている世界、とくに第三世界、第四世界の問題を考えることによってはじめて得られる。だから、私たちが日常の生活のなかで、あるいは目の前に当面している課題のなかで、どこまで想像力をもつことができるかどうか、それが、実は私たち自身の問題を解決できるかどうかということに結びついているのですね。

はじめにアインシュタインの言葉を引用したのは、問題を歴史的および思想的な視野のなかでみることによって答えが見出されるということに惹きっけられたからですが、それとともに総体的に軍拡の構造をみることこそが、軍縮問題をもっともリアリスティックに考えうる道だと思います。いま、五つのレヴェルに即して軍事化の傾向を話されましたが、そうした危険の拡大については、六〇年におけるアイゼンハワーと同様に、その危険の現実に立ちあって、そのことを知りうる立場にあった人は決して少なくないはずです。軍事問題を私たちが考える際に一つの壁となるのは、この問題が一部の専門家によって独占されてきたことです。

そして、それらの専門家−それは単に技術開発の専門家、戦略に従事する軍人というだけではなくて、従来の軍縮交渉に関係してきた外交官僚、政治家。あるいはそれに協力してきた学者を含めてよいと思いますがしそういった人たちは、軍備拡大の傾向とその危険性と構造について知っていた、少なくとも知りうる立場にあったはずです。彼らは、黙っていたのではない、軍縮のために努力をしてきたのだといっています。そして、同時に、現実の難しさは素人が考えうる程度のものではないと、その「現実」の重さをしばしば強調します。しかし、本当に軍縮は不可能だったのかどうか。専門家の手から、一度私たちの手に問題をとりかえして見直してみなければならないと思うのです。

そこで、次の大きな問題として、第二次大戦後、四〇年余にわたって、なぜ軍縮が実現しなかったのか、この問題に移ってお話をうかがいたいと思います。現代の軍備体系や軍縮の問題を五つのレヴェルに即して考える必要があるといいましたが、戦後の歴史をふりかえってみますと、まず、二と一のレヴェルで軍縮の議論がはじまったわけです。これまで何度もいいましたように、このレヴェルだけを考えたのでは不十分なのですが、しかし、ここに最大の軍備が集中していることは明白ですから、少なくともそこからはじめることは当然です。第三世界の軍備競争に話をそらしたり、あるいは第三世界に近代兵器を拡散しないということから話をはじめるのは不当であるという意味で、やはり一と二、とくに二のレヴェル、つまり核軍備競争などに端的にみられる大国間の軍備競争の問題からはじめるのは、当然のことだと思います。

そこで、戦後四〇年余り、米ソ関係での軍縮について、議論は重ねてきたにもかかわらず、なぜ実現しなかったのかという問題になるわけですが、そこにはもちろん、いろいろな理由があります。前にもいいましたが、たとえば第一の軍産複合体のレヴェルに明らかなように、軍備競争にはさまざまの政治的・経済的な既得権益がからんでいます。しかし、そのことはいちおう別にして、現実に核軍備競争を放置しておくことは危険だという認識もあって、軍縮に関する交渉が行われてきたことは確かです。