軍縮交渉の成果

軍縮の問題は、兵器の問題ではない。問題は兵器そのものにではなく、兵器を開発生産し、それで武装している人間にある。たしかに、核兵器という「究極兵器」がつくられて以来、核兵器そのものが危険の根源であるようなイメージがいだかれやすくなったのには理由がある。しかし、問題の根源が、核兵器を開発生産し、それで武装している人間の政策や組織にあることは、核時代でも変わらない。

第二次大戦後だけでもすでに四〇年近く、軍縮にかんする交渉が行われてきた。だが軍縮と呼べるものは、まったく実現していない。四〇年近くたっても何一つ見るべき成果がないとすれば、われわれは当然に、これまでの軍縮への取り組み方、軍縮へのアプローチに、何か基本的な問題があったのではないかと問うべきであろう。

軍縮交渉の成果が皆無に近いことの一つの理由は、それが兵器を管理・削減・禁止することに焦点をしぼり、そうした兵器体系を支えている人間社会の政治構造にメスを入れようとしない点にあるといえよう。これに対して、軍拡や軍縮を、何よりも政治の問題としてとらえるというのが本書の眼目である。私が軍拡や軍縮を、しばしば「軍事化」「非軍事化」という、より広い枠組みのなかで論じる理由もそこにある。

軍拡や軍縮を政治の構造と関連づけてとらえるということは、少なくとも次の二つのことを意味している。第一は、軍拡は誰も望まないけれども、やむをえず行われているといった視点に立つのでなく、軍拡や軍備競争が根強く続くのは、それによって誰かが利益をえているからではないか、という視点をとるということである。第二にそれは、軍備といった暴力手段に依拠して利益を得たり、それに依拠しなければ利益を失うという政治構造を変えることが、軍縮の必須の条件だということを意味する。

では、そうした政治構造を変えるのは誰か。歴史が示すように、政治構造の変革が、その政治構造に既得権益をもたない人々による、下からの運動なしに行われたためしはない。軍縮の場合も同じであり、そこに市民運動の重要性がある。日本でも一九八一年に、反核運動が大きく盛り上がった。しかしいうまでもなく、日本外交や国際政治の問題について、民衆運動が独自の影響力を発揮するというパターンは、最近はじまったことではない。その原型は一九五〇年前後の全面講和運動にあり、それがその後に続く安保反対運動の母胎にもなった。軍縮をめざす今日の市民運動の意味と役割を考える一助として、全面講和運動という源流に立ちかえって、戦後日本の民衆運動の位置づけを試みた。