セクシュアルハラスメントをどう考えますか

転勤問題ではこれまで、単身赴任家庭の大変さについて多く語られてきた。だが最近は、夫の任地についていった妻たちがどんな犠牲に耐えているか、などについても、裁判などを通してクローズアップされつつある。帝国臓器製薬裁判では九一年三月二七日の第二七回公判において、『転勤族の妻たち』などの著作がある作家の沖藤典子氏が原告側証人として証言を行った。同裁判の原告を支援する会がまとめた資料から、その一部を紹介してみたい。「私か取材した中に、塾をやっている人がいました。塾ならば、転勤族の妻としてできるかと思ったそうです。けれども、子どもたちを集めて指導していく中で、夫の転勤辞令がでたらその塾を辞めざるをえないわけです。赴任先へ行ってまた新しく塾を作る。その苦労、さらには子どもたちへの責任……。結局いつもゼロからのやり直しで、いつも根無し草だと言っていました」

「転勤族の妻は大変孤独で、寂しくて、話す人もいない。だから毎朝、声を出して新聞を読むという電話も〔私に〕ありました。夫たちは会社の歓迎会とか送別会があって人脈もつなげるけれど、妻たちは友達と別れ、また新たに友達を作らざるをえない。その大変さを本に書いたら、転勤族の妻でグループを作ろうという動きもありました。……サラリーマンの妻であれば夫の行くところどこへでもついていくのが当然のように言われがちですが、妻たちは決してそれが宿命だとは思っていません。胸の中の悩みや悲しみ、孤独、別れ、涙を語りたくても語る場がなかったし、また語ってはいけないと思わされていたんだということを初めて知ったものです」

朝日新聞』の「ひととき」欄二九九二年三月二三日付)に載っていた、東京に住む四〇代の主婦からの投書が印象に残っている。大阪転勤の内示を受けた夫が、悩み抜いた末に退職することを選んだという。「考えてみれば単身赴任は家族が共に生活するという基本すら否定し夫の健康を確実に蝕むだろう。プラスになる要因は何ひとつないのだ。夫は『会社のため』を捨て家族と共に生きる道を選んだ。……しばらくは退職金が頼りの生活になるだろうが、これからは夫婦二人三脚で頑張るつもりだ」夫たちも、そして妻たちも「家族」を基軸に物事を発想しつつある。転勤問題は、いま岐路に立たされている。

職場の男女共生という問題を考える時、不謹慎な言い方だが、セクシュアルハラスメント(性的嫌がらせ)は、男性がどんな女性観をもっているかを測るうえで、格好の教材になる。「君はどうせ独身だし、夜は暇なんだろう。残業をやっていってくれないかな」。こういうセリフを女性に向かって男性の読者は吐いたことがないだろうか。実際にこう上司から言われた女性社員は、悔しいと言って都内の相談所に駆け込んだ。「鹿嶋さんだったらこんなことは言わないでしょうね」とカウンセラーに念を押されたが、正直言って自信がなかった。

ただ、自分と同じ立場で仕事をしている女性であったら、こうしたセリフは不用意には吐かないと思うのである・補助的な仕事をしている女性だからこそ、見ドしたような態度に出てしまうのも確かだ。またこの手の性的プライバシーをのぞきみするような発言は、男性の想像以上に女性を傷つけるという認識を、男性はなかなかもてないことも事実である。こうした認識不足と、労働条件等で男女間に格差があるなどの土壌のうえに、セクシュアルーハラスメント問題は起きる。職場の男女平等をどう確保するかという問題とセクシュアルーハラスメントをなくすこととは、密接な関連を持っている。