欲張ることは悪い虫である

昔はシュロークのように、よく勉強して、よく働いて、初めてたくさんのお金が手に入るという仕組みだったのが、間のステップを飛ばしてもお金が手に入るようになっているケースもある。教育のない人がお金を手にするから貪欲になるとも言える。ただ、インドでも悪いことはニュースにはなるが、悪いことはいずれ淘汰されるだろうというのがインド式の見方なのだ。つまり、この50年間としては、最近の20年ぐらいは問題かもしれないが、インドの5000年の歴史スパンで見るとたいしたことはないかもしれない。5000年の間、よい時もあり、悪い時もあった。一般的には「昔はよかった、今は悪くなった」という見方をしがちだが、インドはその点、冷静である。もちろん、放っておいても直るということではないので、マスコミは悪いことはどんどん叩くし、人々も議論する。

しかし、インド人がすべてそうなったわけではないし、インドの文化もこれで終わりではないことをインド人はわかっている。また、長い歴史の中で、人口の多さが自浄作用をもたらすこともわかっている。一部の腐ったリンゴがリンゴ全体を腐らせるには、インドという箱に入ったリンゴは多すぎるのだ。ただ人口が多いだけでは烏合の衆になって悪に染まりやすい危険もあるが、国民全体が暗誦教育をペースにした共通の素養を持っているというのがインドの特徴である。議論の場に年寄りがいることも多いが、年寄りは「必ずよくなるよ」「また何か出てくるよ」「これで終わりじゃないよ」といったことをシュロークに乗せて言ってくれる。私が大学時代に教わったゴーヤル先生は、キッサ(ヒンディー語で小噺の意)を言うのが得意だった。先生は一昨年亡くなられたが、以下は私か日本に来て、企業に就職してから帰国して近況報告に会いに行く度に話してくれたキッサで、私もよく自分に言い聞かせているキッサである。

ある村の農家を営んでいた人の息子が街に出て、大学を卒業して村に帰ってきた。帰宅したら、父親に、「お父さん、今度少しお金をためて、上地をもっと増やしましょうね」と言う。インドのことわざに「欲張ることは悪い虫である」というのがある。資本主義はこの正反対にある。最近の経済危機はウォール街の欲張りの結果であると米国中が叫んでいる。でも1987年にリリースされた「ウォール街」という映画の登場人物、ゴードンーゲッコーが言った言葉「強欲は善なり(Greed is good)」はその後の人々のマントラになったそうである。最近の「LA Times」でこの映画の脚本家が書いていたように、この映画のメッセージは「強欲は善なり」ではなかっだのに。ゴードンが映画の最後に逮捕されたにもかかわらず、映画を見た人のうち、かなりの割合で、彼をロールモデルにする人があったという。彼はこの映画がほめられる度に、よい作品を作ったけれど、悪いこともした。人々にもっと悪い人間になるような動機を与えてしまったのだ、と考えているという。

「LA Times」の文章を彼は、この映画の監督の部屋に最近行った時に見かけた、監督が「ウォール街」のポスターの自分たちの名前の上に自ら書いた「欲張りはなまけ者(Greed is a bummer)」という言葉で締めくくっていた。でも、私たちが生きている資本主義の社会はすべて、「greed」の上に立っているのは事実なのだ。インドでは昔から、お金儲けがあまりよいこととはされていない。ゴーヤル先生のキッサではないが、時々この迷路になっている毎日の中で、自分たちが本当にどこへ向かっているのか、立ち止まって考えることが必要ではないだろうか。先日インドで、ヤクルトを家まで売りにくるのを見た。インドには古くからヨーグルトを毎食食べる習慣があり、ラッシーなども普段から飲まれていて、ヤクルトが入るところはないと思っていただけにとても意外たった。

ただ、パッケージ化されていると子どもや男性が飲みやすいし便利ではあるため、売れることは十分に考えられる。このように、便利になると売れ、それにより経済が回るという流れは、今の時代に合っているように思われる。しかし、たとえ便利になったからといってそれがすべてよいというわけではない。離乳食として、すりおろされたリンゴなども売られており、そのおかげで母親の手間が省けて便利ではあるものの、子どもがリンゴをかじる動作をしないため、歯が弱くなっている。洗濯機や掃除機についても同様で、それらの便利な機械があるために、手で洗う、手で拭くということがなくなり、日常の生活の中で自然と身体を動かす機会がなくなるため、結果としてジムに行くことになっている。それは、経済活動を活発にする半面、人間的には弱くなる方向に向かっているように思われる。母親が家事を抱えている時に、それを見た子どもは手伝いを通して、体を動かしたりコミュニケーションをとったりしていたものが、動かないために子どもが肥満になっていて、それもまた課題となっている。